項 目 | 履 歴 等 | 摘 要 等 |
基本事項 | 白濱英治、 徳島県阿南市在住、 男、 昭和23年生。 | 気持は青年、体力は荘年、メタボ体型 |
職 業 | 地方銀行を定年退職(勤務年数38年)、在職中は主としてコンサルタント業務を担当。 四国八十八ヶ所霊場会公認先達、四国観光達人。 退職後、個人旅行業を登録・開業し現在に至る。 |
中小企業診断士、宅地建物取引主任者、FP技能士、国内旅行業務取扱管理者、運行管理者資格、四国観光達人、普通二種免許等取得。 |
お遍路さん | ・子供の頃に写真で見た母の巡礼姿と仏壇の前で勤行する祖母の姿が、現在も脳裏に浮かぶ。 ・57歳の時、初めての八十八ヶ所札所巡り結願、御利益を感じ、以来重度の「お四国病」に感染する。 ・歩きの道筋に「お大師さま」のいらっしゃることを実感し、歩き遍路に傾注する。 |
・「お遍路さん」が実は「お大師さま」でありました。 ・「一切衆生悉有仏性」、「衆生、本来仏なり」。 ⇔ 御縁をいただいたお遍路さんの素直な仏性の甦りに、いつも感動しています。⇔ガイド冥利です。 ・「我が為すべきことは無畏施なり」自覚する。 |
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![]() 自分は、無知・無策で無謀な落ちこぼれの歩き遍路体験を重ねてきました。 だから、これから将来に向かって、御縁が繋がる有縁のお遍路さんには「苦行」でなく、「修行」のお四国を巡っていただきたいと衷心より祈念しております。 実際に歩き遍路を体験し自分自身が感じた諸々の不安や畏れ等を、新たに歩き始められるお遍路さんには「不安や畏れ」などを少しでも軽くして拭い取って差し上げた い、との願いから、私は歩き遍路さん専門の個人旅行業を営み始めました。 よちよち歩きの先達ですが、歩き遍路を発心・発願されているお遍路さんは、 是非ともお声を掛けてください。 ガイド仲間とともに精一杯の「 よろしければ、私どものホームページを覗いてみてください。 URL https://jikishin88.jp です。 商号は「 お四国センター |
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落ちこぼれ歩き遍路体験記
私は50歳の年、御軸を手に入れようと思い立ち四国八十八ヶ所を巡り始めました。 徳島県内に住まいしてい ますので、休日にお寺を巡るには便利なはずなのですが、57歳までの七年間で27ケ寺(神峯寺まで)しか、納経できていませんでした。 時々、気にはかけ ていたものの実態は、ほぼ休止状態が長く続いていました。
そんな私も57歳の転機を迎え、一週間の休暇を取り、残りの札所を巡る旅に出かけることになりました。 勿論、自動車を利用してです。 移動距離を測り、到着時刻等を予想しての急ぎ旅、当にスタンプラリーそのものでした。
初日の納経寺院数は28番大日寺を振り出しに10ケ寺。 初日の夜は出発前に高知県内の国民宿舎を予約していました。 宿の事前説明では、遍路宿泊料金6,500円でたぶん一人利用となるとのことでした。 到着し部屋に入りました。 何と二段ベットが三組設置された極めて狭い部屋、しかも見ず知らずの歩き遍路さん2名と私の計3名での同宿でした。 初めての体験でもあり又料金相場等も分かりません。 夕食の献立にやや不満を感じながらも同宿の歩き遍路さんのお話を耳にしますと、三日に一度くらいの割 合で洗濯のため宿に泊まるとのこと。 国民宿舎の接遇も不快で、お遍路はこんな取扱われ方をされるものなのか? と疑問や不快感を感じながらも、食事中に歩き遍路さんが話された言葉「へんろ道は心地好い、鶯の声がさわやかだった」が何故か印象に残った一日目でした。
翌早朝、足摺を走り宇和海沿いに北上し、夕方岩屋寺麓の宿に滑り込めたものの夕食なし。 二日目の納経寺院数6。 三日目もスタンプラリー、納経寺院数 14、宿は案内本に基づき予約するも別のビジネスホテルに案内される。 四日目の朝、59番国分寺境内で1円玉5枚のお接待を受ける、ただビックリ!! 驚いた。 納経寺院数12、宿泊は観音寺市内、少し薄気味悪かったが無視して寝た。 五日目、小雨の中で時折一緒になる女遍路さんの鈴の音の響きが、何故か印象に強く残る。 納経寺院数14、料金を奮発し温泉旅館に宿泊、よく寝れた。 六日目、納経寺院数5、結願し帰宅。
これが、七年の歳月を要した私の初めての四国八十八ヶ所札所巡りでした。 そして、私は御軸を手に入れました。
翌朝、高野山奥之院に息子を伴い御礼参りに出発しましたが、私にとって、その日は、偶然と片づけられない有り難い御利益を頂戴させていただいたと感じた一日であり、私自身が「お四国病」に感染し始めた初日(2005.4.22)でもありました。
初めての結願を振り返った時、手抜き参拝であったことに気付きました。 納経とは本堂と大師堂で般若心経を唱えることをいうのですが、1番から27番の寺院での私の参拝は、合掌しお賽銭を納めることしかしていませんでした。 思えば手抜き納経だったわけです。 余りに気になるので手抜きを補うべく、1番から再度参拝し、今回は般若心経を唱えつつ二度目の巡拝を開始しました。
5月の初旬、21番太龍寺に向かうロープウエーの窓から20番鶴林寺の遠景が目に飛び込んで来ました。 その瞬間に「鶴林寺から太龍寺までを歩きた い!」と衝動的な思いが湧き上がってきたのです。 2005.5.9に生じたこの衝動的な感覚こそが、私の歩き遍路発心の原点でした。 思えば、私は33歳で多発性関節炎を発症し、両膝・両足首に重度の炎症を抱え、発心したこの時期も少しの運動で膝関節に水が溜まり腫れるという症状が続いていました。 歩き遍路どころか、歩くことに自信を喪失している自分が、まさか歩きたいと発心するなどとは思いもしませんでしたが、不思議なことに、この日から“自分で歩く”という方向に舵が切り換わりました。
歩く方向に舵を切ったものの、お遍路の何たるやも、何をするのかも、何一つ知らないまま休日に行動し始めました。 自宅から太龍寺山まで車で30分ほどの 距離なので、昔に登った記憶を頼りに車で行けるところまで行き、ワイシャツ・半ズボン・首タオル姿でスニーカーを履き、小さなリュックにペットボトルを入 れ、歩いて登りました。 その日は晴れて暖かい日和、歩いて上るにつれ、汗は噴き出し、息は上がり、1.5キロ程の参道なのに、途中で何回も休憩しないと 山門に着けませんでした。 やっと辿り着いた山門内のベンチに腰をおとし、大粒の汗を流し、水分を補給しながらゼエゼエと大息をついていました。 休憩中の 私の横を二~三人の若い娘さんが私の有様を眺めて、通り過ぎながらクスクスと笑っていたのを鮮明に思い出します。 これが初めての「歩き」、足腰はガタガ タ、翌日には整体師さんのお世話になる有様でした。
それから、休日を利用し飽きもせずに少しづつ歩行距離を伸ばしながら、途中挫折も含めて何度も何回も通いました。 初夏には20番鶴林寺のへんろ道3キロにも挑戦、無事に歩けましたものの、脚力不足を隠しようはなくその実態は必死の思いでした。 歩いた後の帰り道では、足裏アーチやアキレス腱が悲鳴を上げ、肉刺の痛みに悩まされる日々が翌週末まで続くという繰り返しでした。
歩きの発心から数えて4ヶ月後の9月中旬、鶴林寺から太龍寺までのへんろ道をどうにか歩いて参拝できました。 当然、足腰は悲鳴を上げていましたが、ささやかな達成感に私は満足でした。 そして、このささやかな達成感が私の「お四国病」を段々と重症へと引き入れてゆき、新たな年末までの目標設定、「焼山寺遍路ころがしを歩く」「阿波一国を歩く」などへと誘うことに繋がってしまったわけです。 少しづつ足の筋肉も増え始めたのか? 或は御利益をいただいたのか? は判りませんが、この頃から不思議に足関節へ水の溜る症状がなくなりました。
その年(2005)の手帳メモ
5/9 | 秋までに鶴林寺から太龍寺まで歩きたい、との衝動に駆られる。 | 10/10 | 徳島市内の5ケ寺参り。 |
5/20 | 病院で左膝の水を抜く、大きな注射器三本分。 | 10/23 | 鶴林寺→太龍寺→平等寺→新野駅、37,700歩。 |
9/11 | 鶴林寺に登る。 | 11/16 | 地蔵院越え遍路道。 |
9/17 | 鶴林寺→太龍寺。春の目標達成。 | 11/19 | 寄井中→建治寺→大日寺。 |
9/24 | 年内に焼山寺を打とう。 | 12/11 | 新野駅→平等寺→薬王寺→山河内、43,000歩。 |
10/1-2 | 十里十ケ寺。二十四年ぶりに歩けた!マメだらけ。 | 12/23 | 甲浦→牟岐、牟岐→山河内。 |
10/9 | 焼山寺遍路ころがし達成。 | *「阿波一国」を歩いて繋ぐことができた。*この年の日帰り最長歩行距離は35km。 | |
※恥ずかしいのですが、この年の手帳年末ページに記した私の振返り文は次の通りでした。 ⇒「本年は、お大師様に導かれた一年であり、ありがたい年であった。 八十八ヶ所巡拝ができ、手術(実は、痔疾で6月下旬~7月中旬まで入院)も無事終了し、体力がむしろ増強するまでに至った。 また四半世紀ぶりに回復した脚力で歩いた一年であった。」 思えば、「歩きたい」と発心させていただけたことが、足の痛みや畏れや多忙等のマイナス要因さえも、乗り越えるべき目標に置き換わり、マイナス要因が自然と「目標設定」というプラス要因に変っていった不思議な一年でした。 そして、マイナス要因自体が自然と目標というプラス要因に置き換わり、前向きな行動に繋がってゆくこと。 もしかしたら、これが御利益というものなのか、とも感じ感謝しております。 |
その後、肉刺や筋肉痛に悩まされながらも、歩くことを続けることができ、土佐・伊予・讃岐へと歩き範囲を広げることとなり、現在に至っております。
なお、現在も筋肉痛や肉刺に悩まされながらでありますが、「…しんどいけれども気分の好い修行の路、汗と素直さに輝くへんろ道、素晴らしい一歩一歩の世界、甦る人間力、若返る感性の世界」“お四国”を歩くというよりも、歩かせていただいきながら感謝の気持ちを添えて精一杯の歩き遍路ガイドに勤しみ、「無畏施」の修行をさせていただいています。 そして、これからも「遍路行者」を自覚し、無畏施の遍路行者として 示され導かれる菩薩道を真面目に一歩一歩と歩き続けてゆきたいと願っています。 ➡ リュックを担いで、累計で どうやら地球一周半(約60,000km超)を歩き遍路できています。
☆お四国って、凄いんです!! お遍路の道中で、突然に感受させてくださるんです。 目からウロコが落ちるっていうのか!! 最近、こんなことも感じました。 「理性って…煩悩なんです。」 「煩悩って…その人を覆うベールのごときものなんです。」 煩悩が働けば、その煩悩の分野のベールは透明に鮮明に見えるようになります。 でも、それ以外の部分のベールは曇ってボンヤリとしか見えないのです。 例えば、賭け事の煩悩が働けば「勝敗」を鮮明に見ますが、「善悪」など他の観点は曇ってボンヤリとしか感じ得ないのです。 見ようとする分野の煩悩が働くから、その部分のベールは自分の都合に合わせて透き通るのですが、その他の部分のベールはより強く曇るのだと思います。 でも、自分の煩悩の窓から見ようとさえしなければ煩悩のベールは曇りようがないようにも感じるんです。 自分の都合で見るのではなく、映るものをあるがままに受け止めれば、煩悩のベールは曇りようもなく、煩悩のベール自体も働きようがないのだと感じます。 自分の感覚ではスーっと受け入れられるのですが、言葉では上手く説明し得ません。 ごめんなさい。 やっぱり、“お四国”って、凄くって…不思議なんです。!!
心地好い、不思議な病気があります…それは『お四国病』と呼ばれています。
この世には実に不思議で心地好い病気があります。 その病名は『お四国病』 と呼ばれており、歩き遍路の回数と年月を重ねるにつれその症状は重症化しつづける特徴を有しており、科学の進んだ現在においてさえ、症状を軽くする処方箋 も治療薬も未だ開発されておりません。 この『お四国病』に私も感染し、白衣姿でへんろ笠を被り金剛杖を手にして歩き遍路に出かける毎にその症状は広がり と深みを増し、心地好さが心身の隅々にまで浸透しきっています。 最近では、私自身も『お四国病』の保菌者として御縁の結ばせていただく方々に実に不思議で心地好い『お四国病』を感染させているようにさえ感じています。
*TV朝日「人生の楽園」(2010.05.15 PM6:00) *ディリースポーツ(2012.07.30~08.13) *産経新聞(2009.06.20)
*関西TV(2009.05.06 PM6:35) *徳島新聞(2009.04.29) *徳島新聞(2009.03.07)
住 所:〒779-1245 徳島県阿南市那賀川町中島951-1 | ![]() |
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