お遍路さんになりきること、これこそ目指していたものでした。だって、「お遍路さん」が「お大師さま」だったから。 …「落ちこぼれ歩き遍路」体験記。 先達 白濱英治
私のホームページを訪れていただきありがとうございます。 ここは、実体験に基づく「 歩き遍路 」さん専用のサポート及び「“お四国”へんろ文化」情報提供サイトです。 私自身が「歩き遍路」の立場で感じた
諸々の“お四国”体験での気づきや素直な思い等について記述しています。
“お四国”って素晴らしい世界です。 準備を整えられて“お四国”へお出かけください。
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はたきり観音 | 頑張るちびっこ遍路 | 遍路ころがし | 修行大師(一本杉庵) | お地蔵様(長戸庵)・尾根道 |
ご存知ですか? 国内で“お”を付けて呼んでいただける地域は“お四国”だけなのですよ。 そして、お四国に住まいする私達も、訪れる方々に“お”を付けて親しく呼びかけています。 「“おへんろさん”がんばってください…」って、… お祖母ちゃんも お母さんも、そして みんなもそうしているから。 …これって「”お四国”へんろ文化」の原点です。
語るに語れない哀しみや長患いの苦悩などは、どれほど行を重ねても、その終着点が判り難いから「苦行」です。 足を痛め、ヘトヘト、一歩も前に進めない状態の辛さや苦しみなどは、時間が経てば終わりを迎える「修行」です。 “お四国”は、一歩の歩みと共に終着点の判り難い煩悩などを少しずつ忘れ去り、捨て去りしながら歩かせていただける修行の地です。 約1,200kmの道程を歩かせていただける身の幸せや周囲に感謝を奉げながら、いつのまにか不思議と苦行が修行に変ってゆく「お大師さまに出会う旅」です。
“お接待”は、されるだけのものではなく、するもの・させていただくものです。 お茶やふかし芋など色々なお接待を受けることがあります。 有り難いことですし、うれしい気持ちに包まれます。 しかし、受けるだけが“お接待”ではありません。 ”お接待”は、自分から能動的にするもの・させていただくものです。 お四国は、お遍路さん自身の「修行の路」なのです。 お遍路さんができる”お接待”をさせていただきながら巡られて欲しいと願います。
お四国は、貴方ご自身の一期一会が試され、磨かれる路です。 例えば、へんろ道に枯れ枝が落ちていれば取り除きましょう、落石が転がっていたなら邪魔にならぬようにしましょう、誰かに出会えばこちらから「こんにち は」と声をかけましょう。 思えば、このようなことは簡単なことです。 自分がやりさえすれば、誰の助けも必要とせずにできる事柄です。 誰かに見てもらう必要など全くありません。 その時、その場で、ご自分に素直で心に悔いの残らない行いをして歩いてゆきましょう。
ご自分の「一期一会」に悔いもなく素直に心も安らげる時、自分に積った分厚い我執の殻もほんの少しだけ薄くなるように思います。
手間を省くと、返って後から大手間がかかります。 手軽な巡り方や楽な参り方をすれば、後に悔いが残り、自分の心に嘘が残ってしまいます。また、安易を選ぶと心のこりや悔いる気持が覆いかぶさってきてしまいます。 これは、逃れられない現実です。
例1、疲れた自分を甘やかし、或る区間だけバスを利用したとします。 ⇒ 後日、その区間を「歩き」で繋ぐためだけに訪れ、「心のこり」を解消するためだけに歩き直すお遍路さんも多いのです。 実は、私もそうでした。
例2、随伴バスやタクシーに荷物を運ばせ、我が身は身軽い姿でおしゃべりしながら歩いているハイキング遍路さんや日帰りものまね遍路さん達も見かけます。 そして、その方々はそれでも歩き遍路をしているつもりなのです。 ⇒ ご自分の心に嘘を残しますし、世俗を離れず、甘え心に依存しているので常に後ろめたさと云い訳がつきまとってしまいます。 ……やっぱり、お遍路さんは「修行の路」意識を自覚して手抜きをせずに歩かなければ嘘ですし偽物です。
ご自分に、無理強い( ケガや体調不良等の無視や準備不足あるいは実力オーバーな無謀プランなど。)させない範囲で、手抜きをせずに手間をかけ、ご自身の心に悔いの残らない真っ正直な歩き遍路で約1,200kmを踏破され、ご無事の「結願」を目指されて欲しいと願います。
主体性を持ち“今・ここ”を 歩かれてください。 お四国を歩かれる場合、出発前にはある程度の事前学習や情報入手に努められてからスタートしてください。 そして、現地・現場でその
実態を感受し確認するといった姿勢が大切なのだと思います。 「唯、飄々と歩く…」と表現されているイメージは、行き当たりばったりでフラフラと歩くよう
な状態を指すのではなくて、事に臨む前には十分に学習や準備をし、本番に臨んでは事前学習や準備などの「智」にとらわれずに、肩の力を抜き、“今・ここ”を「感性」で受けとめ、歩き抜く気概を持ち、自然体で、あるがままに、一歩一歩と踏みしめてゆくことをいうのだ、と思います。
「人について行っただけの旅は、訪れた場所の名前さえ記憶に残らない……」といわれます。 観光バスやタクシーで「札所巡り又は霊場巡り」を体験された方々も、何時の日にか目覚められ、ご自分の発心と行動で「修行の路を、唯、飄々と歩く…」本物のお遍路へ、素晴らしい世界へお出かけください。
お大師さまに招かれて、修行の道をゆく「歩き遍路」は独りで、黙々と無言の行で歩かれてください。 ご自分で歩き遍路を発心され、ご自分で最初の一歩を踏み出され、ご自分の判断で歩き続ける方針を決め、ご自分の都合で自分の宿泊地を求め、ご自分の限度で歩く距
離を定め、ご自分自身と会話しながらご自分に出会い、周囲にも・ご自分にも失敗や苦労等の責任を転嫁せず、疲れたご自分の両足に何よりも先に感謝を捧げ、
お風呂に入り、食事をいただき、素直なご自分自身に立ち還って、そして熟睡されてください。 翌朝も未知の場所・未知の道筋・未知の方々との出会いや触れ
合いをあるがままに受け入れて、リュックを背負い一歩一歩と素直なこころで「歩き遍路」を歩まれてください。 …「一歩あるけば、一歩近づく」、…お遍路 での気づきって当り前のことの再発見です。 そして、貴方はお遍路の道筋で生きているお大師さま達に出会えるかも知れません。
お遍路は、ご自分で積み重ねてきた有象無象の煩悩や世塵など「持ち切れぬ重荷やしがらみ」をお遍路の道筋に「捨て去り・落し去り・忘れ去り」しながら本来の素直なご自分自身(=清浄心、仏性といいます)に立ち還る修行旅、若返りの歩き旅だと感じています。
お大師様が約1,200年前(792年)に四国で修行されたと伝わる足跡を辿り巡りゆく修行行為そのもの自体を『お遍路(現在は「歩き遍路」と表現されます)』といいます。 現在の四国八十八箇所の寺院は、江戸時代(1687年)に四国遍路中興の祖といわれる宥辨真念聖が遍路の道筋に散在していた寺院の中から八十八の寺院を選び1番から88番の番号を付けたことに起因して始まりました。 江戸時代以降はお大師様の歩まれた足跡を辿り巡りゆく本来のお遍路修行に随従して道筋に散在する八十八の寺院にも立ち寄り、お大師様をはじめ先人賢哲や聖に畏敬と感謝の念を捧げつつ、四国の山野を黙々と歩かれているのです。
バス・タクシー・自動車などの乗り物を利用する参拝では遍路本来の四国の山野を「歩くという原点」から遠く離れきってしまうために、「札所参拝」という部分的・形式的な側面にのみ焦点を当てて旅行自体の意味を求めてしまいます。 出発点から相違するこの原点の違いから、乗り物利用の「札所巡り又は霊場巡り」と自分の足で巡る「歩き遍路」とでは、お遍路さん自身が経験し・体感するその世界は全く別のものとなっています。
お遍路の道筋で立ち寄る札所寺院がたまたま重なり、外見や装束などがそっくりであったとしても、歩き遍路の一歩に凝縮されている遍路修行の重みと修行本体を省略して札所を巡るだけの軽々な足取りとの間には、比較のしようもないほどの大きな違いと開きが厳然とあるのです。 「修行の路=歩き遍路」と「札所巡り(スタンプ・ラリー)」とは、出発点から相違する全くの別世界なのです。
重い荷を背負い自分の脚で長い道程を終日歩き続ける遍路修行は、体力も消耗しますし、弱気にさいなまれ挫折するこ ともあります。 でも、歩き遍路の途中に体験した苦労、あめ玉一個のお接待や道案内などの気遣いが無言の導きや教えとなって自分の心身を和ませ包み込み、
本来のたくましい人間力も甦ってまいります。 素直な挨拶を自然と交わし、気がつくと合掌し、感謝の姿を表している。 汗と満身の笑顔と感謝の気持ち、素
直な自分自身との出会い、一歩一歩の巡りとともに心身も健康、こころも澄んでおだやかに、素直な感動、若返る感性、さわやかな清浄心、そして甦る人間力。 … “お四国・お遍路・歩き旅” … いつの日か、貴方も本物の「へんろ旅」にお出かけください。
〇昔から、高野山「奥之院」へ参詣し無事結願の報告・御礼参りする習わしがあります。 納経帳・朱印用白衣・お軸にも高野山奥之院の記帳欄が設けられています。
〇歩き遍路の道中で、誰よりも貴方を護り導いてくださるのは、きっと貴方の父母・祖父母並びに御先祖様なのだろうと私は感じています。 そうであるとすれば、貴方の菩提寺を訪れて父母・祖父母・御先祖様にこそ感謝を込めて報告・御礼参りをなされるのがよいのだろうと、私は思います。
心地好い、不思議な病気があります。 …それは『お四国病』と呼ばれています。
この世には実に不思議で心地好い病気があります。 その病名は『お四国病』 と呼ばれており、歩き遍路の回数と年月を重ねるにつれその症状は重症化しつづける特徴を有しており、科学の進んだ現在においてさえ、症状を軽くする処方箋
も治療薬も未だ開発されておりません。 この『お四国病』に私も感染し、白衣姿でへんろ笠を被り金剛杖を手にして歩き遍路に出かける毎にその症状は広がり
と深みを増し、心地好さが心身の隅々にまで浸透しきっています。 最近では、私自身も『お四国病』の保菌者として御縁の結ばせていただく方々に実に不思議で心地好い『お四国病』を感染させているようにさえ感じています。
“お四国”へお出かけください。
ホームページで御縁を頂けた皆様も、素晴らしい世界「お四国」へ機会を創られて 是非お出かけください。 何時の日にか、歩き遍路の道筋、へんろ道中の何かの出合いで、お目にかかれることを願っています。 そして、有縁の皆々様が「ご無事の結願」を迎えられますよう“抜苦与楽”の願いを添えてお祈りさせていただきます。 ありがとうございました。 合掌
「お遍路」について急ぎのお問合せ等がある場合 連絡先:0884−42−4364 又は 090-5149-9381 (担当、白濱)
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